aikoとの出会い
ここら辺に広告きてうざいね!
自称aikoを標榜するブログを見つけた。それは勿論aikoではないし、だからと言ってイタズラにaikoを自称しているわけでないのもみてとれる。
そのaikoに関する記事はよく考察されており、何よりスッと頭の中に入ってくるものだった、それはaikoが凄いのか、その書き手が凄いのか、無論両方である。言うなればaikoは金の眠る鉱山であり、書き手はその金を掘り出す炭鉱夫であるのだ。しかも他の炭鉱夫と違うのは更に奥まで掘り進みマントルにまで到達しようとしているのだ。
私は情けなさで頭を抱えた、自分だってそれなりにaikoに関しては一家言持ったコンシューマだったではないかと。つまり、aikoが実生活においてどのように作用してくるか、そこらの歌詞考察()とかそんなちゃちなものではない概念としてのaiko、それが彼の中にはあり、風が語りかけるように、彼の中のaikoは日々存在力を高めている。そこまでの域に達しているのだ。
私はというと、まだまだ全然だ、ブレスだけ聞いたり、セルフイントロドンしたりしてるが、たまに間違える。正直クソザコだ。でも書きたかった、aikoが実生活において与える作用について、歌詞考察()で無駄に消費される現状に耐えられなかった。なんて愚かなのだろう。
何かの間違えが無いように、私のaikoをここに記す。
2006年 アルバム夏服入手
アルバム小さな丸い好日以外のアルバム彼女までを入手する。
カップリング目当てでシングルを集め出す。
ライブDVD MV集を集め出す。
2008年 アルバム秘密
二人
kisshug
2009年 milk/嘆きのキス
2010年アルバムBABY
空白期間
2016年
アルバム泡のような愛だった
アルバム時のシルエット
May dreamレンタル
2018年
シングル ストロー
ごらんの通りである。
「途中で飽きたんじゃねえか!」
その通りである。
確かに2010年以降は息を吸うようには聞けていないのだ、アルバムBABYも連続して買ったアルバムではあるのだが、聴き込めているかと聞かれればNOと言うしかない、まともに語れるのはアルバム桜の木の下からアルバム秘密までにaikoが発表した曲のみである、というのが実情だ。たかだか3年程度のaikoだったのだ、だが当時を思い出すと、かけがけのない3年間だった。わたしも人生のある期間の大半をaikoが占めた者としてその一部でも書き留めることができればこれ以上のことはないと思う。
ちなみに1番聞いたアルバムは夢の中のまっすぐな道です。